亡き友に捧ぐ

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石見さんと初めて羅臼で会ったのは、僕がまだ20代中頃だ。なのでもう20年以上経ったことになる。当時から僕は毎年知床に釣りに来ており(未だに行っている)、同じく羅臼にいる町田さんから「こんな田舎で「知床倶楽部」というインターネットカフェと料亭をやっているユニークなおじさんがいるんだけど会ってみない?」と紹介されたのがきっかけだった。

 

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町田さんは石見さんとは古いつきあいで、唯一無二の親友、いや戦友と言える様な間柄だ。当時ネット環境を整えたカフェは札幌でもほとんど無かったので、相当珍しかったと思う。無線LANなんて気の利いたものも、携帯もほとんどない時代だ。「知床倶楽部」の玄関にはINTERNET CAFEと大きく書かれたカンバンが掲げられており、ブログも無い時代から毎日ホームページを更新していた。勿論手作業だ。だから良く旅行客がメールチェックに訪れた。特に外国人にとっては砂漠の中のオアシスだった。

 

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羅臼のような僻地で、そんな最先端なお店をやっているとは、一体どんな人なんだろう。会うのがちょっと怖く、また楽しみでもあった。その夜、石見さんは完全に初対面の僕を、自分のやっている料亭の奥座敷に優しく招き入れてくれた。そして僕らは遅くまで二人で酒を呑み、すっかり意気投合した。僕ら、と言っても親と子くらい年齢は違うんだけど。

 

それ以来、僕は毎年必ず羅臼に行き、カラフトマス釣りをし、そして知床倶楽部に立ち寄ってハモ丼を食べた。そして石見さんとたわいのない話を1,2時間して過ごし、また来年来るよと言ってお店を出る。これが毎年絶対に欠かせない、僕の大事な「儀式」であり、一年のうちの数少ない至福の時間の一つだった。一人で行くことが多かったけど、最近は友人達と一緒に行く機会が増え、それでも必ず僕らは知床倶楽部に立ち寄った。ここ数年は目に見えて細くなり、体調が芳しくなさそうで、それを気遣う会話がちょっと増えていた。

 

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石見さんはいろんな事情があって羅臼に流れ着いた「よそ者」だ。どこの田舎もそうであるように、田舎はよそ者になかなか手厳しい。特に田舎の度合いが強い土地ほどそうで、生活していくにはなかなかハードな環境だ。しかし、石見さんは何十年も羅臼に住み、しっかりと根を張ってきた。以前、どうしてここにたどり着いたのか、若い頃の事をちらっとだけ聞いたことがある。そこには当たり前だけど、確かに人としての生き様があり、道があり、歴史があった。しかし、その事を僕から根掘り葉掘り積極的に聞いたことは無かった。そんなものは都会のゴシップペーパーに任せておけば良い。

 

石見さんはとても心優しい、寛容で温厚な人だった。それは彼の性格でもあり、人徳でもあった。そのため多くの人が彼のところに集まり、彼を慕った。だが、それであるが故に、しばしばある種の災いのようなものを自らに招いた。それでも彼はその姿勢を終生変えることはなかった。彼は多くの人を分隔て無く受け入れたが、他方ある種の人間が、どういうタイプなのかも冷静に理解していた(ように僕には見えた)。

 

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石見さんはきっとこの土地に骨を埋めるのだろうなと僕は思っていた。そして誰もがそう思っていたと思う。そして実際にその通りになった。ただ、それは予想よりずっと早くやってきてしまった。

 

あのちょっと照れくさそうな、はにかんだ人なつっこい笑顔をもう見ることは出来ない。今年もまた、いや、今年だからこそ、羅臼に行くつもりだ。願わくば、いつ通りの年であって欲しかったんだけど。

 

ハモ丼やお店が今後どうなってしまうのかは僕には分からない。出来れば石見さんの遺志を親しい人に引き継いで欲しいと思う。石見さん、僕は本当に悲しい。そして本当にありがとう。

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