ダメなところを伸ばすのではなく、良いところを生かすと、ダメなところも伸びていく-学校の教訓

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その昔、私は学校での成績があまり良くなかったのですが(一応あまり、とつけておくことにします)、その中でも数少ない得意科目の一つに「英語」がありました。今でこそすっかり忘れきってしまい、「飲み物は何にしますか?」と聞かれて「アイアムオレンジジュース」と親が聞いたら「学費返せ!!」と泣きながら叱られそうな状態ですが、当時は英語だけは、かなり出来が良い方でした(多分)。

しかし、ある時、このままではいけない!と思い、もっと全体的に底上げを図ろう、と考えました(一応当時は真面目だったので)。そこで、好きで得意な英語を勉強する時間を減らし、その分を苦手科目に重点的に配分する事にしました。ところが、テストが終わって蓋を開けると・・・・得意科目の点数は落ち、苦手課目の点数もあまり変わっていない、という惨憺たる結果に終わってしまったのです。

これは参ったな、とかなり落ち込んだのですが、ここからが私のある意味良い加減なところで、こんなに苦労して点数が大して変わらないのなら、もういいや、と、あっさりあきらめてしまい、苦手な科目は最低限にし、好きな課目ばかりを重点的に勉強するようにしたのです。

そうすると、不思議なもので、好きで得意な科目の点数は当然上位に食い込むわけですが、つられてあれほど苦手だった科目の点数も、少し上向きになっていくではありませんか。結果的には、苦手科目を重点的に勉強するより、はるかに楽で楽しく、良い結果を出すことが出来ました(あ、でも私は学校の成績は基本悪かったです)。

実は、この教訓は、私の人の使い方、育て方、という点について、大きな基礎の一つになっています。

つまり、苦手なところを直そうと指導を一生懸命しても、実はそれほど伸びることはあまりなく、むしろ当人の得意なところを伸ばす努力をした方が、結果的に苦手なところもそれなりに伸びる、という考え方です。

勿論物事には限度というのがありますから、苦手科目が落第点であれば、学校を卒業出来ませんし、いずれは学校を放逐されてしまいます。しかし、普通そこまで出来ない、というのは余程の事が無い限り、ありません。その場合は当人の「能力」の問題ではなく、別の事が原因になっていることがほどんとだと思います。

誤解を恐れずに言うと、実は「育てる」という考え方自体が間違っているのではないかな、という気がしています。

手取足取り指導して教えようとしても、教える立場の人間には、現実的には物理的な時間はそれほどなく、また思ったほど相手が伸びません。苦手なことに取り組むのはやはり気も重いですし、それなりに苦労をします。

人を育てる、という事に意識を振り向けるのではなく、出来る限り当人の良いところを伸ばそう、使わせて貰おう、という観点で取り組んだ方が、結果的に良いところは更に伸び、良くないところも意外と改善される、それが人の「いかし方」なのかな、と思っています。とはいえ、つたない点があると、ついつい細かく手取り足取りしてしまうのですが。実は社内では一番自分がお守りに手数かかる奴だって話は内緒だ。

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