トランプとイバンカのイヤンバカンから半沢じゃなくて古美門研介(リーガル・ハイ)の方

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ビジネス雑感

お恥ずかしながら、実は私はこのことわざのことを全く今の今まで知りませんでした。

日経に-正確に言うと、日経が2015年に買収したFinancial TimesにUSナショナル・コラムニストのエドワード・ルースという人が書いた-コラムが転載されており、そこにこんな事が書いてありました。

この記事を要約しますと

「トランプも娘のイバンカもイヤンオオバカヤンでもエリートってみな似たような経歴だよねこういう非自力系エリートって大なり小なり上から目線でどうしょうもないし親もイヤンバカンなら子もバカン」

というものなのですが(個人の感想です)、私が気になったのはその本筋のところでは無く、いや正確に言うとそこはホントもうどうでもよく、この一文のみです。

教会前で父親が聖書を掲げ、メディアに写真を撮らせるというのは彼女の考えだった。トランプ大統領の任期中の最もひどい絶望郷を想像させる画像として残るのではないか。助言は善意から出たものかもしれない。ただことわざをもじれば、地獄への道は善意に満ちた行為で敷き詰められている。

地獄への道は善意に満ちた行為で敷き詰められている。

なにそれ。なんかすごいかっこいい。そして的を得ています。

という事で調べたところ、正確なことわざとしては、地獄への道は善意で敷き詰められている。ーThe road to hell is paved with good intentions.でした。

エドワードが(友達か)「もじる」とあえてつけたのは、恐らく「善意に満ちた行為」とつけたしたからでしょう。

そして私はこのことわざを知りませんでした。そんなことわざあったのですね。。私の英語のことわざは受験の時の「覆水盆に返らずーIt’s no use crying over spilt milk.」で時が止まったままです。いや、それすらうろ覚えで念のため例文チェックしたので、むしろ退化してしまったかも知れません。

それでふと思ったのですが、昨今春先に大量出現していた「自粛警察」のお話しも、このことわざに近いのかも知れません。

自らを絶対的に正しい、善と疑わず、基準を外れる者を徹底的にエゴイスト、頭がおかしい、人名がかかってるんだと徹底的に叩く。自分はこんなに犠牲を払っているんだと言い、そうしない人達をヒステリックなまでに非難する。端か見ていると回りはみなドン引きですが、勿論本人は「絶対に間違っていない」と言う確信を持っているので、客観的に自分を観ることが出来ません。意見はそれぞれあって当然です。しかし、そこまでいってしまうと、悲しいとしか言いようがありません。

それでふとリーガル・ハイの堺雅人雅人扮する敏腕弁護士、古美門研介のいくつかのフレーズの事を思い出しました。リーガル・ハイはネットでハイライトシーンが違法動画として転がりまくっていますが、よい子が見る当ブログとしては当然そこへのリンクは張れませんし、皆さんも違法動画など人生でただの一度も見たこともない方々かと思いますので、そのドラマ中での発言をここに引用してご紹介したいと思います。

「人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じるんです。」

「本当の悪魔とは、巨大に膨れあがったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋だたきにしてしまう、それが善良な市民たちだ。」

「君が正義と抜かしているものは、上から目線の同情に過ぎない。」

「一切の感情を排除し、法と証拠に拠ってのみ人を裁く。それこそが、我々人類が長い歴史の中で手に入れた法治国家という大切な大切な財産なのです。」

そして私が一番気にいっているのがこれです。

もし君が、皆が幸せになる世界を築きたいと本気で思うのなら方法は一つだ。 醜さを愛せ。

リーガル・ハイは歴史に残る名ドラマ、コメディだと思います。なんか書き出しから大分話しが変わったような気もしますがあまり気にしないでください。

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