人的に小物と大物の境界線とは

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Web屋の経営

写真は先日食べた街中華のランチ麻婆豆腐610円。うまい。勿論本文とは何の関係もありません(なんなんだ)。

最近ちょっと変わったというか、個性的な企業経営者の方々とご紹介でお会いする事がままあります。勿論全員創業者で非サラリーマン経営者です。

この手のユニークで、ともするとエキセントリックとも言うべき、愛すべき経営者の皆さまと会う度に、その超対極にある、没個性で超凡人の我が身の明日に不安を覚えます。この感覚わかりますでしょうか?ユニークじゃないと、どこか突き抜けていないと,経営者としてやっていけいない、結果を出せないのではないかという半ば強迫観念が、経営者には大なり小なりあります(多分)。

先日、この記事を見たのですが、本論とはあまり関係ないかもしれない、「日本人では少数派ではあるが、長いものに巻かれたくないタイプ」という部分に思わず「ん?」と思ってしまいました。12個の少数派日本人の条件が書いてあるのですが、「全部当てはまっている・・・もしかして僕ってちょっと違うのだろうか?」と。

僕も成人式や大学の卒業式はただの通過儀礼で意味は無いと思っていたので出ませんでした。勿論出る人を否定する訳ではありません。自分は出ないと言うだけで、嬉しい人達にはきちんと祝福してあげたい、そういう切り分けは勿論ちゃんと出来ます。初詣もここ10年くらいは行くようになりました。これはまあ歳を取ったせいなのか「日本の文化を大事にしないとね」という気持ちの変化がありました。ですが、本質的には「行くのなら普段から行きましょう派」です。実際その他に年に一度は初詣とは別に、ふらっと行くようにもなりました。

まあしかし、この程度の「違い」であればユニーク、とは言わないですね。何しろ「本当に」ユニークな経営者のユニークさは半端ないですから。

そして何よりもそのような非凡人、ユニークな経営者と僕の決定的な違いは、そのような非凡人・ユニークな経営者には、全く自覚症状がない、あるいは決定的な確信犯だ、という事です。なのである意味「サイコ」です。だから経営者が勤まるとも言えます。その総本山、最上位がスティーブ・ジョブズなのかも知れません。妊娠した彼女に「それは俺の子じゃねえ」と言い放ったり、創業から一緒だったメンバーに「あいつは役立たずだからストックオプションは一銭もやらなくていい」とか、開発途中のiPodのデモ機の質の悪さにカンシャク起こして壁に投げつけてブチ壊すとか、まあ彼のサイコっぷりは半端ありません。

なので、ある程度自分を客観視出来る、自覚症状がある程度では、僕のような人間は所詮どこまでいっても「小物」なのかも知れませんね。クリエイティブなジャンルに属する人が、際だった成果を出したいがために、破天荒な生活をあえてする、というのはしばしばある事です。典型例が芸人のせいかもしれません。芸のためにあえて呑む打つ買うをやる。しかし、それでも凡人がユニーク、あるいは天才に至るのは至難の業です。なぜなら意図的にやっているのか、元からリアルガチ破天荒なのかでは、やはりやっている事は似ていたとしても、何かが決定的に違うように思うからです。それは永遠に交わらない近似曲線です。

と、企業創業者、経営者というのはいつもこのような自分の宿命的限界を感じつつ、日々そこと闘いながら、頑張っております。お勤めの皆さんの中には「うちの社長うっせーなー」と思う方も多いと思いますが、3回に1回くらいはこのことを思い出して許してあげてやってください。意外と社長大変なんです。生暖かい目で見てくれればと思います。

 

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