「無敵の人」ではなく「無縁の人」

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先日、こういう記事を見かけました。


しかし、実は「無敵の人」ではなく「無縁の人」なのではないかな、、、と思いました。

昔は今と違って、フリーターやニートと呼ばれる様な人はいませんでした。つまり、必ず就職するのが当たり前で、またしないと身内や世間から強烈なプレッシャーを受けますから、何もせずブラブラしている、という事が基本的に出来ない社会でした。そのため、とにかくどこかの会社なり組織に、否が応でも必ず就職し、属していた訳です。そして家族親戚友人は勿論、職場の仲間というそれなりに濃い「縁」の中で暮らしていました。何か起こすと、そういう人達の顔が浮かぶ、そしてそれが結局犯罪の抑止力としての効果を実はもっていたのだと思います。

以前田舎の会社に勤めていたとき、初めて速度違反でつかまったのですが、キップに記入する際に「勤務先」の記載欄があって驚き、その後職場で総務課長から小言を言われて更に焦ったのですが、自分が通っていた「自動車学校」にも通知が行くと知り更に驚きました。このような「どこかに属している」事自体が、社会(縁)からのプレッシャーを受けやすい仕掛けでもあり、犯罪抑止効果を持っていたのは間違いないだろうと思います。それはある意味、個人の責任を追求する仕組みでもあり、また、個人の責任を、集団責任へと拡大する事によって生じる、個人への抑止力でもあったと思います。ある意味、「五人組」みたいなものです。

ところが、今はフリーターという言葉がごく普通に認知されています。このため、当然就職先での人のつきあい、という事もなく、あっても薄く、社会(縁)との関係が希薄化しているような気がします。この様な状況では、犯罪抑止効果としての「縁」が基本的にありません。そういう意味では「無縁の人」ほど「行動」を起こしやすい傾向はあるのかもしれません。

ただ、何かの統計で見ましたが、犯罪の総数自体はここ数年減少傾向にあるそうです。そういう意味では、犯罪の種類でみると、多分ネットがらみというのは、あまりに簡単にやりやすい分、増えている、というのはあるかも知れません。もっともネットの場合、何が犯罪で、何が犯罪じゃないのか、という事も議論になるところではありますが・・・我々がネットを使い始めた歴史はまだあまりにも浅いですから、いろいろとつきあい方には試行錯誤が今後もあるだろうと思います。でも、だから危険なので、ネットはいらない、という事にはもうならないところまでは来ている様に思います。もう後戻りは出来ません。電気や水道の無い生活を想像出来ないのと一緒ですね。

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