いいね はするか?しないか?それが問題だ

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私もご多分に漏れずにfacebookをしていまして、偽名で毒島ラリ男((C)筒井康隆)で登録しています(本当につまんない冗談ですいません。本名でやってます)。そこで普段本当にどうでも良い事を適当に書いています。ちなみにどうでも良いことを書いているのは本当です。なんか出だしからくどいですね。くどいのはホント、いやもういいですね。

 

それで、facebookの利用にあたっては、個人的なルールが一つだけありまして、それは、

 

自分の投稿にコメントしてくれた人全員に必ず、無条件にいいねを押す

 

という事です。


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趣旨としては、一言で言うと「関わってくれた事に対する感謝の気持ち」です。内容は全く問いません。

 

コメントしてくれると言うことは、関心を持ってくれた上に、アクションまで起こしてくれたわけですからこれはもう相当なモチベと労力が無いと普通やって頂けません。

また実際、自分が思ってなかった視点でコメントしてくれたりするのは、視野教唆に陥りがちな中年後期のおぢさんにとっては結構勉強になりますし、視野が広がる機会にもなります。

私は一期一会という言葉が昔から好きで、そういう気持ちもあり、感謝の気持ちとしていいね、を押させて頂いています。

 

なので、そうすると、当然ですが、しばしば「元々私の言いたかった趣旨とは全く異なる視点や誤解を元に書き込んできた人」にもいいね、を押す事になります。

 

そうすると、この場合、端から見てると、いいね押す=全肯定と受け取られる可能性があり、「田中さん、そういう意味で書いてたの?」「あれ?田中さんって、そういう人なの?」「田中さんってタイヘンなヘンタイだったの?」ととられる可能性がある、という事です。

これに対する解決法は今のところ運用で解決するしかないなと思っています。

つまり、私の場合は(たまに忘れますが)ほぼ全員に必ずいいねを押すので、そういうルールでやってるんだな、ああ、そうか、感謝の気持ちの表明なんだなと認知してもらう事によって、その意見に同意しているかどうかは別の問題だと理解して貰う、という事です。

なので、もしいいねをつけられなかったよ、という人がいましたら、それはその意見への反対表明という事ではなく、単なる私の見逃しでした。お許し下さい。

ということで、気付いたら2016年最後の投稿になりました。

年内はこれが最後です。今年もいろいろと最後まで駄文をお読み頂き、ありがとうございました。また初めてこのエントリーを読んで頂いた方もありがとうございます。常連になって頂いても何も特典もありませんが、宜しければ末永く息抜きにおつきあいください。

来年もどうぞ宜しく御願いしマウス(一応オチ必要かなと)。

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