明日地球が滅びる可能性は0ではありません-福島原発に見る学者と政府と。

スポンサーリンク

福島の原発事故で、地震直後に原子炉への海水注入を中断した際の、班目委員長(原子力安全委員会)と政府とのやりとりが結構残念かつ脱力な状態になっています。

この元東大教授は「再臨界しないかといえば、可能性は0ではないと言った。可能性が全く無いとき以外は、学者は「0ではない」というセリフをよく使う」とおっしゃっています。

そもそも、それに過剰反応する政府も政府で、もはやどっちもどっちで聞いているこっちが臨界点に達しそうです。しかし、この方、「明日地球が滅びるか?」と聞かれれば、「可能性は0ではない」とお答えになるんでしょうか?

本来ここで斑目委員長が答えるべきことは、そのような現実を無視した学問的厳密性ではなく、

「確率として可能性が0かと言えば、0ではないです。明日東京にマグネチュード10の大地震が起きる可能性が0かと聞かれれば、0ではないということになります。ですが、現実的にはそのような心配は無いと思います。それと同じです」

など、もう少し現実的な説明が出来なかったのでしょうか?(再臨界を起こす条件は極めて難しく、実際はほとんどあり得ない、という事は多くの報道で伝えられてます)。

現実から乖離した学問などそもそもありえません。なんでも厳密に言えば良いというものではなく、浮世離れしちゃっている学者の典型例というか、本人は「言った時、特に周りは驚いてるようには見えなかった」とも言ってるそうで、この人もしかして相当なKYなのかなとも思ったのですが、それとも政府の責任のがれなのか・・・いずれにしても何の役にも立たないセリフです。

しかし、ようはこういうエラい人達がわいわいがやがやああしよこうしよああどうしよか、と右往左往しており、そこに原発やこの国の未来がかかっているのが現実です。

責任のなすりあいをしている場合ではないので、とくかく迅速に行動して欲しいです。体育館に避難している人は一刻も早く仮設住宅に転居させてほしいし、瓦礫の山も早く片付けて欲しい。単に街を元に戻す、のではなく、どのような街作りをするのか、一刻も早くグランドデザインを描き、それにそって復興を進めて欲しいと切に思います。現実的に、未だに多くの人が困窮しているのです。復興構想会議で「今、文明が裁かれていると思います」だの机上の空論振りまいている場合ではないのです。

復興を願っていない人がいる確率は0なのです(いや、学問的厳密性の観点から言えば、「へそまがり回答率」があるから0とは言えないかも?)

このコメントも開いた口がふさがりません・・・。

しっかし、なんなんですかね一体。。。まあ、あちきも毎日小銭募金してくるらいしか出来てませんが・・・気に入ったら押してやってください→にほんブログ村 ベンチャーブログ ベンチャー社長へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました